職業安定所に休日がなく残業代がでない企業

私はホームヘルパーとして病院に勤務していましたが、諸事情で退職し半年間求職活動をしていました。その時もともと本が好きな故次は本屋に勤めてみたいのと、職業安定所で正社員にあこがれ検索しました。その条件にヒットしたのがとある中古書店。新規オープンでスタッフ募集とありました。

急いで印刷をして紹介してもらい、面接に行くまでそこの企業がどういうところか、実は無知で面接のときにどういう中古店かを知りました。面接を受けたその帰りに即採用が決まり、次の日に説明をしたいからと再びその店に赴いたとき、書類には確かに本社が東京で研修があると記載ありましたが「明日東京に行ってきてくれる?3か月」と言われ、突然のことですし、交通手段も用意していたわけではなく、「はい」と即答ができず時間を頂きました。年末年始で交通手段を急いで用意できたが年明けでした。

この時点で交通費も出ないにってことで研修前に辞退すればよかったのですが、私はどうしても働いてお金が欲しく、正直そこの給料の良さにひかれ入社を決めました。

今まで病院勤めから、一気に接客業。アルバイト経験も恥ずかしながらコンビニの1件のみでその経験も活かせない職種でした。この時は働いていたら仕事の内容もすぐ覚えるだろうと安易な考えでいましたが、ここは普通の中古店ではありません。色んな知識がないとやっていけない業者でした。

レジの誤差もマイナスならば自分の財布で出して、報告書を書くというシステム。レジ誤差が退勤でも会社が保障してくれるわけでなく自分でそのミスをカバーする形でした。これは私は研修期間の間に自分が根を上げて地元に帰ればいいという気持ちもある中、必死に研修期間を終え、地元の新規オープンの店に勤務が変わりましたが、いざ店に入ればオープン前5日なのに店の中は何もできていなかったことに唖然したのを覚えています。

それに移動日も出勤しなくてはならなく、休みがオープンしても2週間ほど休みを頂けず普通に残業代もでないのに、朝の5時まで仕事をさせられ、朝の11時にまた出勤ということを繰り返して、ここはいわばブラック企業なんだろうと、後の祭り。

研修中の間に棚卸があり、その時はきちんと残業代を頂いたりしましたし、定時に上がらせて頂きましたが社員と正式になってからは残業代は一切つかずたまにつくのも、棚卸の時期だけ。毎日深夜3時まで仕事をして、交通手段がない帰り道自転車で帰り、寝て朝がくればそのまま出勤の繰り返しでした。

また、働いている当初は部署のスタッフが充実していて、休めるときは休めれたのですが厳しい会社です。スタッフが根をあげて次から次へと退職してしまうラッシュに私も便乗したかったものの。自分が覚えた知識が、その店の貢献になる楽しさをその時は感じていてずるずると4年ほど働いていました。

残業代がでないこと、定時に上がらせていただけなかったことが苦痛で他はスタッフ間の人間関係は何とも思わず、ただレジの誤差のときの追い詰められ方や朝の朝礼の時にレジ誤差をした人の名をあげその理由をみんなの前で発表し、続いた人はみんなの前で「なんでそうレジ誤差が続くわけ?」という理由を問われる、何とも厳しい業界でした。

だんだん私もその人間関係に慣れて性格が悪くなり、その時になんとなく貯金もたまってきて習い事を始めた時、私はこの職場の追い詰める方式などの人間関係に違和感を覚えてきました。人は追い詰められれば、追い詰められるほど気持ちが低下して、身が縮まってしまいます。

しかも大の大人がストレスのはけ口にいじめを始めるのです。これを周りのスタッフは見て見ぬふりや自分に火が飛んでこないよういじめを始めた主犯(この当時は副店長でした)の言いなりになり、精神的追い詰めが決められたスタッフにさせるようになってきたのです。

当初働いていた店は、全国で売り上げが最下位。なかなか売り上げが伸びず、それもあり上からの圧力から店長副店長もストレスがたまっていたのはわかりますが大人がいじめを始めるのが私の中で気に障り、ここにいたら「性格が悪くなってしまう!」と自分保身の為、辞表を提出しました。30歳を目の前にしていたので、新たに就職できる自信に不安がありましたが。

それから私へといじめの視野が変わり、周りが全員敵に代わり、仕事も膨大に振られ中古店ですので買取のデータ作成もあります。家に帰っても書類に追われ、休みのときはその時私は部署がただ一人、アルバイトも取り上げられてしまったので何もかも一人で回さなければならなかったので電話が鳴ったり、出勤したりさせられやめるギリギリまで私は不眠が続いてました。辞表を何度も何度も提出しても、やめさせていただけず休憩室に呼び出され1時間長い間は3時間説得をされました。

その時に副店長に言われた言葉「お前が片腕を失っても、やめさせるつもりはない」という言葉の暴力を覚えております。この言葉を機に、周りのスタッフから監視が続きました。少しのミスがあれば、だれから副店長に伝え、休憩室でずっと叱られる毎日。おかげで仕事が終わらずどのスタッフに助けを求めていいのかもわからず心が病み、精神科のお世話になることになりました。精神科医に事情を説明し「求職届け」の診断を書いていただくことになりましたが、それも受理されず私はまたずるずる働いているときに親が見かねてこっそりと店に電話をし店長を話したことでスピード解雇になり、私に説明もなく「もう明日から来なくっていい」という一言で私はこの職場を退職することになりました。

今思えば精神的に病んでいなければ恐喝で訴えられたのですが、もうあの人たちの顔を見たくなくまだ心に傷があるのでできればそっとしてほしい。と職業安定所に伝えましたが、私みたいな体験をされる方が今後出てこないことを祈るばかりです。